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開かれるのを待っている

文・尾崎昂哉夜学バー店主、株式会社夜学取締役/『常連のいない場所づくり』著者 株式会社夜学取締役の尾崎昂哉です。 2017年に夜学バーを開き、2026年に株式会社夜学を中立とともに立ち上げました。 夜学バーはカウンターのみの小さなお店ですが、そのカウンターの上にはずらりと絶え間なく本が並んでいます。安心感を抱く人もいれば結界のように感じる人もいるようで、本という物体は実に不思議です。 唐突ですがお金というものは、「自分にできないことを他の人に肩代わりしてもらった対価」として使われるものだと思っています。もちろん「自分でもできるけど他人にやってもらったほうが早いし楽」という時にも使われます。仕事には「他人の代わりに何かをする」という本質があるわけです。 本というものも、「自分では発想したり考えたりできないものを他の人に肩代わりしてもらったもの」と言えて、だからこそ対価としてお金が支払われるのでしょう。 もちろん「自分で発想したり考えることも不可能ではないんだけど、そのためには膨大な時間や手間や労力が必要なので、他人が書いた本を読むことによってそれらを省略する」というためにも本はあります。 読者と本とのあいだには、そのような契約関係、信頼関係があるというわけです。「あなたが発想し考えたことを教えてください。」「いいですよ、〇〇円です。」「もちろんお支払いいたしましょう。」「できれば感想、お聞かせ願います。」 読者との信頼関係、ということで思い出すことがあります。 小学校低学年の、まだサンタクロースをギリギリ信じてるかという頃。岡田淳さんという児童書作家の『星モグラ サンジの伝説』という本を読んでおりました。 人間の言葉をしゃべるモグラが「ぼく」の前に現れて、「サンジ」という伝説のモグラにまつわる不思議な話をあれこれ語る。作家である「ぼく」はそれを書きとめて本にした、という筋でした。 幼き僕は「ふうむ?」と素直に思いました。人間の言葉をしゃべるモグラなんかいるものだろうか、と。 それですでに中学に上がっていた長兄にたずねたのです。「お兄ちゃんよ、しゃべるモグラってのはいるもんかね?」 「しゃべるモグラ? そんなもんいるわけがないだろ。いったいなんだってそんなことを言い出すんだ。」 「この本に書いてあるんだよ。」 「ふうむ? 岡田淳の本か。なるほど。うむ。それだったら、そういうようなこともあるのかもしれないな。」 そのとき僕はもちろん、しゃべるモグラなど本当はいないらしいと直観しました。しかしそんなことはどうでもよくなってもいました。長兄は岡田淳という名前を聞いた瞬間に180度態度を変えたのです。彼も岡田淳さんの読者でした。あの岡田淳が間違ったことを書くわけがない、ということでもあったでしょうし、弟が岡田淳の書いていることを信じようとしているんだから、それを否定してはならないと思ったのかもしれません。 そこには信頼関係がありました。兄と、その本のあいだに。そして読んでもいないはずの本を無条件に信じようという態度は、明らかに「岡田淳」という人名によって生み出されたものでした。 それから僕は背表紙に「岡田淳」と書いてある本を図書館で片っ端から借りてきて、読み漁るようになりました。期待を裏切られるようなことは一度もなく、僕と「岡田淳」という文字のあいだにも次第に大きな信頼が形作られていきました。 やがて既刊も新刊もことごとく買い揃え、今ではほぼコレクターの域に達しています。 岡田淳さんが自分の代わりに生み出してくれているものは、絶対に、間違いなく、お金を支払う価値があるという強い信頼を僕は抱いていて、この気持ちは生涯変わることがないでしょう。そこまで強く思える書き手は数えるほどしかおりません。 本をつくる立場としての自分も、この「信頼」ということを何より意識しています。「尾崎昂哉」という四文字の本名は、これからたくさんの読者と信頼関係を結んでいくことになります。「夜学」という二文字も同じです。 本というものは、未だ知らぬ誰かのために、「あなたの代わりにこんなことを考えましたよ」というメッセージを抱えて全国を飛び回り、役に立つときをひたすら待ち続ける存在です。なんという健気で、善意に満ちた物体なのでしょう? そのように回りまわって僕のもとにやってきた本たちはまず僕のために開かれ、そして夜学バーのカウンターに並べられて再び開かれるのを待っています。本は何度でも、誰かの役に無限に立ちます。 そういえばバーテンダーという仕事も、ひたすら待ち続けることです。バーの扉は、本と同じように開かれるのを待っております。誰かの役に立つのを待っております。信頼と、それにもとづく契約によってお金が交わされ、維持されています。 バーが出版を始める、というと驚かれることも多いのですが、意外と遠いものではないような気がしています。待つ祈りとして。

開かれるのを待っている

文・尾崎昂哉夜学バー店主、株式会社夜学取締役/『常連のいない場所づくり』著者 株式会社夜学取締役の尾崎昂哉です。 2017年に夜学バーを開き、2026年に株式会社夜学を中立とともに立ち上げました。 夜学バーはカウンターのみの小さなお店ですが、そのカウンターの上にはずらりと絶え間なく本が並んでいます。安心感を抱く人もいれば結界のように感じる人もいるようで、本という物体は実に不思議です。 唐突ですがお金というものは、「自分にできないことを他の人に肩代わりしてもらった対価」として使われるものだと思っています。もちろん「自分でもできるけど他人にやってもらったほうが早いし楽」という時にも使われます。仕事には「他人の代わりに何かをする」という本質があるわけです。 本というものも、「自分では発想したり考えたりできないものを他の人に肩代わりしてもらったもの」と言えて、だからこそ対価としてお金が支払われるのでしょう。 もちろん「自分で発想したり考えることも不可能ではないんだけど、そのためには膨大な時間や手間や労力が必要なので、他人が書いた本を読むことによってそれらを省略する」というためにも本はあります。 読者と本とのあいだには、そのような契約関係、信頼関係があるというわけです。「あなたが発想し考えたことを教えてください。」「いいですよ、〇〇円です。」「もちろんお支払いいたしましょう。」「できれば感想、お聞かせ願います。」 読者との信頼関係、ということで思い出すことがあります。 小学校低学年の、まだサンタクロースをギリギリ信じてるかという頃。岡田淳さんという児童書作家の『星モグラ サンジの伝説』という本を読んでおりました。 人間の言葉をしゃべるモグラが「ぼく」の前に現れて、「サンジ」という伝説のモグラにまつわる不思議な話をあれこれ語る。作家である「ぼく」はそれを書きとめて本にした、という筋でした。 幼き僕は「ふうむ?」と素直に思いました。人間の言葉をしゃべるモグラなんかいるものだろうか、と。 それですでに中学に上がっていた長兄にたずねたのです。「お兄ちゃんよ、しゃべるモグラってのはいるもんかね?」 「しゃべるモグラ? そんなもんいるわけがないだろ。いったいなんだってそんなことを言い出すんだ。」 「この本に書いてあるんだよ。」 「ふうむ? 岡田淳の本か。なるほど。うむ。それだったら、そういうようなこともあるのかもしれないな。」 そのとき僕はもちろん、しゃべるモグラなど本当はいないらしいと直観しました。しかしそんなことはどうでもよくなってもいました。長兄は岡田淳という名前を聞いた瞬間に180度態度を変えたのです。彼も岡田淳さんの読者でした。あの岡田淳が間違ったことを書くわけがない、ということでもあったでしょうし、弟が岡田淳の書いていることを信じようとしているんだから、それを否定してはならないと思ったのかもしれません。 そこには信頼関係がありました。兄と、その本のあいだに。そして読んでもいないはずの本を無条件に信じようという態度は、明らかに「岡田淳」という人名によって生み出されたものでした。 それから僕は背表紙に「岡田淳」と書いてある本を図書館で片っ端から借りてきて、読み漁るようになりました。期待を裏切られるようなことは一度もなく、僕と「岡田淳」という文字のあいだにも次第に大きな信頼が形作られていきました。 やがて既刊も新刊もことごとく買い揃え、今ではほぼコレクターの域に達しています。 岡田淳さんが自分の代わりに生み出してくれているものは、絶対に、間違いなく、お金を支払う価値があるという強い信頼を僕は抱いていて、この気持ちは生涯変わることがないでしょう。そこまで強く思える書き手は数えるほどしかおりません。 本をつくる立場としての自分も、この「信頼」ということを何より意識しています。「尾崎昂哉」という四文字の本名は、これからたくさんの読者と信頼関係を結んでいくことになります。「夜学」という二文字も同じです。 本というものは、未だ知らぬ誰かのために、「あなたの代わりにこんなことを考えましたよ」というメッセージを抱えて全国を飛び回り、役に立つときをひたすら待ち続ける存在です。なんという健気で、善意に満ちた物体なのでしょう? そのように回りまわって僕のもとにやってきた本たちはまず僕のために開かれ、そして夜学バーのカウンターに並べられて再び開かれるのを待っています。本は何度でも、誰かの役に無限に立ちます。 そういえばバーテンダーという仕事も、ひたすら待ち続けることです。バーの扉は、本と同じように開かれるのを待っております。誰かの役に立つのを待っております。信頼と、それにもとづく契約によってお金が交わされ、維持されています。 バーが出版を始める、というと驚かれることも多いのですが、意外と遠いものではないような気がしています。待つ祈りとして。